そうだったのか

私は考える力が弱いのだろうか、ようやくこの年になって(おかしいな)とか、(ああそうか)と気づくケースが多い。

イランとの緊張関係を受けて、艦船とP3Cが派遣された。石油の輸入にしても普通の物品なら、「原産国」が船に乗せて「購入国」まで送り届ける。それが「お国の輸送船団」を護衛するために兵力がいるという、これ普通に思っていたけれど案外盲点だな、と感じた。経済活動と軍事活動が一緒になるのはもう遠い昔のことだと思っていた。ペリー提督の黒船が来たのは「捕鯨船団」の護衛役として着いていたからだ。「港を開け」、「水、薪を売れ」というのは「補給」だ。何も鎖国中の日本を「鎖国主義はけしからんから、開国せよ」と言ってきた訳ではない。

時はまだアメリカの西部開拓時代が始まるころだ。「空いている土地は早い者勝ち、原住民は殺したのもの勝ち」の世界からペリーは来ている。洗練された日本の政治が叶う訳がない。

アメリカが目覚めたのは「第一次世界大戦」の時だと思える。「国土を戦場にしないとこんなに儲かるものか」と車や武器を売りまくって国は大きくなった。それからずっと「他人の喧嘩に口を出す」、「他国の領土で戦争する」ことが国是となり、アメリカの商売の原点になった。「剣客商売」ならぬ「戦争商売」に目覚める。

以来、アメリカは自国内で戦争をしていない。「世界の警察」などと言いながら、「傭兵」生活を送る。日本の経営はタナボタで弱った各国がぐずぐずしているうちにアメリカが掠め取った。私たち団塊の世代は「牙を抜かれた日本人」の第二期生だ。アメリカのテレビや映画、服装、文化に馴らされ、「実質のない親しみ」を感じさせられている。第一期生は明治政府の構築者たちだろう。

そんな目で見るとイランや北朝鮮は偉いところがある。「自国を守る」という意識が徹底している。守られては困る側から見るとそれは「悪」に見えるだろう。そうかと気が付く。アメリカを疑ってもみなかった。強引な国だなとは思っていたが、「悪いのはみなアメリカだ」と考えると日本の不都合は皆説明がつく。悪いことは西郷隆盛を殺した明治政府から始まっている。と考えるとこれも合点がいく。

ベトナムイラクアフガニスタン、シリアとアメリカが勝てなかった国々は「宗教」や「主義」をきちんと持っていた。幾ら物量を注いでも「民衆の心を折る」ことは出来なかった。 他国に沢山「基地」をつくり国境線はお構いなしに攻撃を仕掛ける。まるで西部劇の世界だ。基地は「アラモの砦」か。アメリ軍が未だに「騎兵隊」という言葉を好んで使うのは、意識がそこに留まっているからだろう。

アメリカのイランの司令官「暗殺」以来、第三次世界大戦の勃発を老婆心ながら心配していた。そうすると何故こうなるのか考える。(変だな)と思うことは沢山ある。私は別にブログを書いているが、政治向きの話は何故かし難い雰囲気がある。自分中で(こいつは外れているな)と思えることはここに書きたい。私は政治的・宗教的な色はないし何処かのパーティを支援する者ではありません。

中国の事も気になることが沢山あります。それはまたその時に。